2020年05月

‘65 船橋CCC 伝説の船橋サーキット開幕戦

auto sport archives

日本の名レース100選 003

引用; サンエイ ムック 2006年3月26日 発行

株式会社 三栄書房 より。

開幕戦 GT-1レーススターティンググリッド 最前列とセカンドグリッド風景。

この画像は、筑波大学 ディープネットワーク・

白黒カラー化ソフトを用いて作成したものです。

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生沢徹 と 浮谷東次郎 伝説の船橋サーキット開幕戦1965年7月18日

全日本自動車クラブ選手権大会

船橋CCCレース

カークラブ チャンピオンシップ

船橋サーキットGT-1レース

生沢徹 ホンダS600

浮谷東次郎 トヨタスポーツ800

浮谷東次郎氏 フィギュア 1/24

僭越ながら、浮谷東次郎氏のフィギュアを製作中。

比較用には、フェラーリデイトナ1/18にしてみました。

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1965年7月18日

全日本自動車クラブ選手権大会

船橋CCCレース

船橋サーキットGT-1レース二人と二台

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55年前の時を今、プレイバック!

Honda初の四輪開発にあたり、本田 宗一郎からは「スポーツカーをやってみろ」と指示された専務の藤澤 武夫が乗用車デビューをスポーツカーS360で果したホンダ。その後のホンダS600は正に精緻な工芸品であった。

かたや、超軽量構造と空気抵抗の少なさで、非力ながら優れた空力性能を発揮したことで知られるトヨタスポーツ800は、当時トヨタが生産していた最小のモデルである大衆車パブリカのエンジンとシャシを流用することを前提に、トヨタの系列会社の関東自動車工業で1962年(昭和37年)で開発に着手した。主査は長谷川龍雄。

当初は「パブリカ・スポーツ」の名称で開発が進められ、非力なパブリカ用エンジンで高性能を確保するため、航空機さながらに徹底した軽量化と空力を追求した丸みをおびたトヨタスポーツ800。ポルシェよりも先にタルガトップを採用した事でも有名。

1965年7月18日

全日本自動車クラブ選手権大会

船橋CCCレース

船橋サーキットGT-1レース

55年前の時を今、プレイバック!

怒涛の追い上げで生沢を抜き去り、

差を拡げる浮谷東次郎。

生沢徹 ホンダS600水冷直列4気筒DOHC606cc超精密エンジン。

重量過多と空気抵抗に於いては弱点

VS

浮谷東次郎 トヨタスポーツ800

非力なパブリカ用: 2U型 790cc 空冷水平対向2気筒OHVエンジン

ゆえの軽量コンパクトに加えて、

空力に優れたボディで戦闘力を誇る。

この二人と二台に於いて、開幕戦の船橋サーキットで伝説が生まれました。

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